今から50年前、ヤマハの音楽コンテストに出場していたことが切っ掛けで、船橋市に本社を構える伊藤楽器店の担当者さんと知り合いになりました。
私は、当時勤めていた会社を退職して、バンドの演奏活動をしており、特に定職には就いておりませんでしたので、それを知ってか、担当者さんから、遊んでいるのなら自社の仕事を手伝う様に誘われました。
始めのうちは、伊藤楽器店の各店舗にレコードを配送する業務でしたが、その後は、当時流行っていた、オルガンやエレクトーン等の配送も手掛け、更には、ピアノの配送の仕事も受ける様になりました。
この頃は、いわゆる高度成長期であり、新品のピアノが飛ぶように売れており、更には、大手企業を中心とした各社の人事異動に伴う引越し業務も盛んにおこなわれておりましたので、1ヵ月に休みが1日も取れない程、忙し過ぎる日々を送っておりました。
その後、平成に入ってバブルが弾けましたが、その直後から、大手運送業者さんから運送料金の値引き交渉が始まりました。大手運送業者さんからの仕事は売り上げは多いのですが、元々利益が少なかった為、利益が更に少なくなってしまう仕事からは撤退することを決意しました。
その代わりに、以前より手掛けておりました、ピアノの修繕や不要ピアノの買取り等の仕事を強化し、また、元々行っておりました新品ピアノの納入業務や、一般のお客様からのピアノの移動等は、一定規模の仕事量は確保できておりましたので、全体での売り上げに対する影響は軽微なものでした。
それから、約30年が経過した現在では、ピアノの買取りと輸出台数では、業界2位の位置にまで上り詰めて来ておりますが、2021年からは、管楽器の買取りも始めておりまして、それらも含めて、数年後は業界日本一の座につくことを目指している所です。